どうせ生きてるなら
こんばんは。
いや、早いものでもう12月ですな。
11月はなんだか
友達の誕生日を祝って終わった感、ある。笑
いいね。平和だね。笑
さてさて
今回は
「どうせ生きてるなら」
というタイトルで。
書いていきましょうかね!!
シャケ。
「あたしの尊敬するものはな、シャケなんや。すごいやん、子孫を遺すことに全力かけて、卵だけ必死の思いで産んで、そして死ぬんやで。生き物の生まれてくる理由はそれだけやと思うんや。」
と、前、魔女みたいな不思議なオーラのある女性に言われました。
しゃけ。。
わたしはちょっと違うと思う
でもね。
わたし、「なぜ生まれてきたのか」は、本人は答えられないんじゃないかなと思うんですよ。
自分で「はい!わたし、生まれたいでーす!」って志願したわけではないのでね。
前、そんな内容の記事、書いたな。
だからね、生きていくモチベーションを保ち続けるのって、わりと大変なことだと思うんですよ。
生きてるだけでえらいわ。
って思う。
どんな人も。
えらい!すごい!天才!
なので
「生まれてきてよかった」「頑張って生きてみてよかった」は、自分自身で用意しないといけない世の中、というわけですよ。
たいへんなこっちゃ。
そんなことなら!
わたしは、だれかの「生きてよかった」を作りたい。
それを「わたしの生きてよかった」にする。
そういう生き方って、なんだか、よくない?
と、ある時から思って生きています。
わたしがやり続けたいこと
そのために、「最期の時まで、安心して幸せなコミュニティ作り」がしたい。
これは、大学の時から今までずっとずっと思ってきたし、言ってきたこと。
ここで言うコミュニティは、場所や地域はもちろんですが、人の集合体自体のことを表します。
人が、できるだけ幸せで、できるだけ安心できるコミュニティって、どんなものなのか。
みなさんは、どんなコミュニティだと思います?
私なりのそれへの答えは、
「愛のあるコミュニティに属することができる動き」を社会のいろんな場所につくること。
わたしは、愛のある集団がそこにあって、帰る場所となっていたら安心だし、幸せなんじゃないかなと思います。
愛があるコミュニティは、お互いにお互いを思いやることができて、あの人の喜ぶ顔が見たいとか、その人のために何かしたいとか。
そんな思いが交錯しているんじゃないかな。
なんて幸せな空間なんだ。笑
生まれた環境で幸せに格差が生まれちゃヤダ
生まれ持ったもの、先天的なものは、なかなか変えられないかもしれない。
ならば、後天的なもので幸せを作れるように。
昔は、コミュニティだって、なかなか自分で作ったり選択したりするのは難しかった。
前読んだこの本に書いてありました。
昔は村社会があった。
引っ越しも職業の選択も自由がほとんどない。同調圧力が強い社会。そのかわり圧倒的な安全があり安心があった。
高度経済成長期に、多くの人が都市部に流れて村社会の時代は終わった。核家族を中心とした小さなコミュニティと会社のコミュニティの2つに人は身を委ねた。
村社会に比べたら生き方の自由度は増した。しかし安全や安心は減る。
圧倒的な自由を手に入れて気がついたら安全と安心を失っていた。
確実なコミュニティは、減ったかもしれないけど、圧倒的に自由度が増したのは事実。
わたしたちは、生まれてくる環境も、性別も、顔も、性格も、親も、選べない人生を生きている。
でも、現代では
どんなコミュニティで生きていくのか、選択することができる。
自分で望んで自分に生まれたわけでもないこの人生だけど
どうせなら、少しでも幸せに生きられるような、そんなコミュニティがあったら、幸せだよね。
場所にしても、地域にしても、人の集まるグループにしても。
それができたら、色んな人が、生まれた環境に関わらず、人生を幸せに生きられる平等な権利が得られるんじゃないかな。
…と、これが私の持論。
サプライズはわたしの生きる理由
そして
お互いにお互いを思いやれて、喜ぶ顔が見たいとか、その人のために何かしたいとか、その人の笑顔が見たいとか思える関係になれるコミュニティ作りって
わたしが大好きな“サプライズ”で実現できること、たくさんあるんじゃないかな、と思っています。
だって、
「あいつ喜ぶかなー?」
っていうのを、みんなで力を合わせて考えるんですよ?
愛、爆発してるやん。笑
どんなサプライズも素晴らしいけど、
今月改めて思ったのは
やっぱり、誕生日って良い。
生まれてきたことを祝うって最高。
こないだ、ある子の誕生日を祝ったら、「生まれてきて良かった」って言って、泣いてた。
また違うある子は、「今年の誕生日、一生忘れない」とも言ってた。
嬉しいねぇ
まあ、でも。
「生きてよかった」と感じられる指標はその人によって違いすぎる。
サプライズがいいときもあるし、なんか微妙な時だってあるだろう。
そうなのだけれど、そこに寄り添って耳を傾けて、それを実現に向かうことを諦めずに続けたいなぁと思う。
だれかの「生きてよかった」の実現が、わたしの「生きてよかった」になる。
わたしの人生って、きっとそんな人生だと思う。
なんか、きれいごとばかり言うけど、でも、本当に思ってるんです。
そこを腐らせないように歳を重ねていこう。
そんなことを感じる11月でした。
(まじで誕生日ラッシュえぐかった。みんなおめでとう愛してる。)